【漫画】弥助 – 信長に仕えた黒人侍 –

みなさんは戦国時代の日本に渡来し、織田信長に仕えた黒人侍がいたことをご存知でしょうか。近年は映画化されるなど世界中から注目が集まる「弥助」の生涯を漫画で紹介していきます。
(漫画:大石 ワタル)
弥助 – 信長に仕えた黒人侍 –


戦国の時代、彼の有名な織田信長に仕えた者は数多くいました。しかしその中に外国人侍がいたことはあまり知られていません。今回はそんな彼のお話です。
弥助はなぜ来日した?


ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークとインドに滞在しており、弥助もその際に同行したうちの一人でした。解放奴隷や自由人だったという説もあります。
京の都は大騒ぎに


国外から来日する人は少なくありませんでしたが、京都ではまだ珍しかったため見物人が殺到し、喧嘩や投石で重症者も出ました。一説によると死人まで出たそうです。
信長が弥助に命じたこととは?


信長公記には当時の弥助の様子が年齢は二十六、七のようで体は黒く、健康そうであり、十人力の力があると綴られています。
弥助の肌の色を疑った信長は…?


初めて黒人を見た信長はあまりの黒さに上半身をはだけても疑いは晴れず、信長は弥助の体を洗うように命じます。血が出るほどタワシでこすったという説もあります。
弥助の名は聞き間違い?


疑いが晴れた信長は弥助を自分の元へ置きたがります。弥助という名前は一説では彼の故郷に多いヤスフェという名前を聞き間違えたり捩って信長が命名したとされています。
なぜ弥助は信長の信頼を得たのか?


国外の情報はイエズス会の宣教師などからも集めていましたが、無論都合のいいことしか教えてはくれません。そういう意味でも弥助は貴重な情報源だったと言えます。
異例の好待遇


健康で強い体を持ち、護衛として仕えていたため武力にも長けており、海外情勢にも明るかった弥助。異例の好待遇も頷けますね。
第二次天正伊賀の乱に参加するも…


第二次天正伊賀の乱に弥助も参加し、伊賀の忍者と戦いました。これで一度は失敗に終わった伊賀国を攻略し、伊賀も織田家の支配する地域となりました。
信長と弥助に何が起こったのか?


本能寺の変では光秀率いる明智軍13,000人に対して信長側の兵力は150人程度しかいなかったとされています。
弥助に最後の命令?


信長は逃れられないと悟ると自ら本能寺に火を放ち、蘭丸に介錯を命じ自刃します。その時、弥助にも最後の命令を与えたという説があります。
信長の首の行方は?


信長の首を持って逃げたかの真偽は不明ですが、信長の首は見つかっていません。その気になればそのまま逃亡もできたところを命令通り死地へ駆けつけたことから織田家への強い忠誠が伺えます。
謀反の知らせを受けた信忠は…


弥助から明智光秀の謀反の知らせを受けた信忠ですが、とても迎え撃てるような戦力は連れておらず、家臣の進言を受けて堅固な二条城にて交戦することを決めます。
追い詰められた信忠は…


わずかな戦力で一時間に及ぶ抵抗をしましたがついに信忠も自刃。その際に遺体は床下に隠すように命じ、その首は信長同様に見つかっていません。
信忠の自刃を聞いた弥助は…


信忠が自刃したと聞きついに投降、捕縛された弥助。共に信長に仕えた光秀が現れた時の彼の心情は推し量れません。
捕縛された弥助の処遇は?<


この発言の真意は定かではありませんが、どちらか一方ではなく光秀からしても共に信長に仕えた家臣として複雑な思いがあったのかもしれません。
その後の弥助の行方は?


弥助のその後の行方や晩年については不明です。しかし現代、彼は漫画に映画、果ては絵本など様々なメディアで題材として取り上げられており注目を受けています。
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